まとまった休みがとれたので、密を避けた平日を選び、マスクと手洗いの対策を徹底して、京都に行ってきました。
1日目
清水寺
京都駅から市バスに乗って、五条坂で下車しました。10分ほど歩くと、清水寺の正門である仁王門が見えてきました。
仁王門をくぐり、西門や三重塔を見ながら奥へ進むと、本堂があります。音羽山の断崖に建ち、本堂から張り出す舞台までは13メートルあるそうです。あいにく舞台板交換の工事中でした。
二寧坂・産寧坂
清水寺の参道として有名な二寧坂と産寧坂を散策しました。京都らしい風情の街並みが続きます。
途中で、休憩がてら立ち寄ったお店のみたらし団子と冷やし抹茶が美味しかった。
八坂神社
清水寺から高台寺や円山公園などに寄りながら、八坂神社まで歩きました。「祇園さん」とも呼ばれている神社で、朱塗りの外観が綺麗です。
慈照寺(銀閣寺)
八坂神社前のバス停から市バスに乗って、銀閣寺道で下車しました。10分ほど歩くと、銀閣寺があります。正式名称は東山慈照寺といって、足利義政によって造営されました。派手さはないですが、侘び寂びを感じる名刹です。
スプリングバレーブルワリー京都
夕飯は、錦市場にあるクラフトビールの醸造所が併設されたスプリングバレーブルワリー京都に行きました。このお店は代官山にもあって、何度か行ったことがありますが、クラフトビールも料理も美味しいです。
2日目
渡月橋
京都駅からJR山陰本線に乗って15分ほどで、嵯峨嵐山駅に到着しました。渡月橋までは、徒歩で10分ぐらいです。
亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから渡月橋と名付けられたらしい。桂川沿いのベンチに座って眺める景色が良かったです。
竹林の小径
天龍寺の北側にある竹林の小径を散策しました。夏のように暑い晴れた日でしたが、木漏れ日が心地よい竹林でした。
嵯峨野トロッコ列車
トロッコ列車に乗るため、竹林の小径を通り、嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵐山駅まで歩きました。保津峡の雄大な景色を眺めながら、終点の亀岡駅までは25分ほどです。
窓ガラスのない車両に乗車できました。自転車くらいのスピードでゆっくり走るので、風を切る爽快感と景色の両方が楽しめました。
保津川下り
トロッコ亀岡駅からバスで5分ほどのところに、保津川下りの乗船場があります。保津川下りの船は小型の平底船で、3人1組の船頭が乗り込み、急流を下っていきます。渡月橋まで約2時間の船旅を楽しみました。
天龍寺
曹源池庭園を見るため、天龍寺に立ち寄りました。白砂と芝生の青とのコントラストが綺麗でした。
3日目
関ヶ原
学生の頃に司馬遼太郎の関ヶ原を読んで、一度は訪れてみたいと思っていた関ヶ原に行きました。京都駅から東海道新幹線で米原駅を経由して東海道本線の関ヶ原駅まで1時間ほどです。
徳川家康最後陣跡は、家康が苦戦に苛立ち、本陣を桃配山から三成本陣の笹尾山のすぐ下に移動してきた場所です。ここから松尾山の小早川秀秋に発砲を命じ、裏切りへと仕向け、関ヶ原合戦を勝利へと導いたといわれています。
決戦地は、関ヶ原合戦で最大級の激戦が繰り広げられた場所です。東軍諸隊が三成の首級を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所といわれています。
石田三成陣跡は、関ヶ原全域を見渡せる笹尾山の山頂にあります。
「三成に過ぎたるもの」といわれた島左近と共に、ここ笹尾山に布陣しました。
家康陣跡とも近く、右手には小早川秀秋が陣取る松尾山を望みます。420年前、ここで総攻撃の合図に呼応しない松尾山の秀秋をどんな気持ちで見ていたのかと思いを馳せます。
関ヶ原駅前観光交流館にあるコインロッカーです。コインロッカーの大きさは、関ヶ原合戦の兵力数を表しているらしい。
関ヶ原古戦場記念館は、今秋オープンらしく、まだ入れませんでした。
4日目
鹿苑寺(金閣寺)
京都駅から市バスに乗って、金閣寺道で下車しました。40分ほどかかり、思ったよりも遠かったです。
正式名称は鹿苑寺といって、足利義満によって造営されました。舎利殿は、あいにく屋根葺き替え工事でした。
龍安寺
枯山水の石庭で有名な龍安寺に行きました。金閣寺からきぬがけの路を徒歩で行けますが、市バスを使いました。参道の石段も雰囲気があってよかったです。
この石庭は、東西25メートル、南北10メートルの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したものです。作った人や意味は不明ですが、見る人の自由な解釈に委ねられているそうです。不思議と惹かれるものがあり、しばらく座って眺めていました。
このつくばいは、一見ばらばらの文字に読めますが、中心の口を共用すると、「吾唯足知(ワレタダタルヲシル)」となります。知足(ちそく)とは足るを知ること。自分の身分をわきまえて、むさぼりの心を起こさぬことだそうです。
仁和寺
龍安寺からきぬがけの路を徒歩で行けますが、市バスを使いました。バス停のすぐ正面には、巨大な仁王門があります。
仁王門を抜け、まっすぐ進むと、金堂があります。右手には五重塔、左手には御殿があります。
御殿では、白川砂が敷き詰められた南庭、池を配した北庭を見ることができます。
休憩がてら立ち寄ったお店で食べた冷奴が美味しかった。
平等院
京都駅からJR奈良線で宇治駅までが15分ぐらい、10分ほど歩くと平等院があります。
鳳凰堂は、関白藤原頼道によって建立された阿弥陀堂です。池の中島に建てられていて、極楽浄土の宮殿をモデルにしているそうです。屋根の上の鳳凰はレプリカで、本物は鳳鳳館内に展示されています。
平等院のすぐ近くには、宇治川に架かる宇治橋があります。橋のたもとには、源氏物語の舞台にちなんだ紫式部の銅像もありました。
宇治といえば抹茶。平等院表参道には多くのお店があります。辻利の宇治本店で、抹茶をいただきました。
伏見稲荷大社
宇治から京都に戻る途中、稲荷駅で下車して、千本鳥居で有名な伏見稲荷大社に寄りました。
朱塗りの鳥居が連なる光景は、圧巻でした。たくさんの鳥居は、「願いが通る(通った)」という稲荷大神様へのお礼として奉納されているそうです。
稲荷山の山頂を目指して登りましたが、時間と体力に余裕がなく、四ツ辻までしか行けませんでした。
5日目
二条城
京都駅から市営地下鉄に乗って10分ほどで、二条城前駅に到着しました。
二条城は、徳川家康が天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城したそうです。
二の丸御殿は、徳川慶喜が大政奉還の意思を表明したことで有名です。内部も公開されていますが、写真撮影はNGでした。
新選組 壬生屯所遺蹟(八木家)
新選組が結成された八木家の住宅が公開されています。壬生寺のすぐ隣にあります。二条城からはタクシーで移動しました。
徳川家茂の上洛の警護のために集まった浪士隊のうち、芹沢鴨ら5名と近藤勇ら8名が京に残り、ここで新選組が誕生しました。
当時の主である八木源之丞の子孫の方が、代々伝えられてきた新選組の話を聞かせてくれました。新選組隊士たちの人柄、芹沢鴨が暗殺された夜のこと、池田屋事件が起きた日のことなど、大変興味深かったです。屋敷内では、芹沢鴨が暗殺された部屋や鴨居に残る刀傷を見ることができます。